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自由研究は問題発見能力を鍛える数少ない機会だったか

今週もお題に乗っかろうと思います。

今週のお題は「自由研究」。

…小学校卒業してから長らく経つので、ほとんど関わっていないテーマです笑

 

自分が学生だった頃の自由研究に対する取り組み方

子供の頃の自分としては、自由研究というと「手数のかかる面倒な宿題」ぐらいの認識しかなく、「あさがおの成長記録」的なテンプレートな題材を選んで、テンプレートな内容を書いてこなしていた記憶があります。

…もはやあさがお以外に何をしたのかも覚えていない笑

そんな取り組み方だったので、結局自由研究の課題から何かを得たかというとそうではなく、ただただタスクをこなしただけに終わりました。

日本では問題発見能力を鍛える機会が少ないという話

博士まで進むと就職に不利と言われる話

大学生で研究室に所属していた頃の話に進みます。

物理が好きで大学は理学部の物理学科に進み、部活と勉強をそこそこにしながら研究室に入り、就職のことを考えるタイミングになった頃です。

当時、研究室の先生や身の回りの人の話を聞いていると、以下のような話を聞けていました。

  • 理系の仕事に就こうとすると大学院の修士に進むのは前提となる。
  • 大学に残って研究の仕事にチャレンジしようとすると、博士まで進む必要がある。
  • 博士を出た先の道は、実力だけでなくタイミングや運も持っていないと職に就けない狭き門である。
  • 博士まで進むと企業の採用には不利に働いてしまう。

最後の「博士まで進むと企業の採用には不利に働いてしまう」という要素に関連して、その後、私は結果的に修士で就職をしました。

実際当時就職した会社で採用された同期の中では、博士課程を取得していたのは1人だけでした。割合として考えると全体の1%以下であったことからも、実際に採用の枠は狭かったのだろうという印象を持っています。

この「博士まで進むと企業の採用には不利に働いてしまう」ということについて、お酒の席で大学の先生方がこんな話をしていました。

博士課程では問題発見能力が鍛えられる

  • 本当は博士を取得している人は鍛えられていることが多い。
  • 何が違うかというと、博士課程では「問題発見能力」を問われ、鍛えられるからである。
  • 「問題発見能力」とは文字通り自分で問題を発見して課題を設定する能力である。
  • 修士課程以前の日本の教育では設定された課題に対して対応することが中心となり、「問題発見能力」を問われることは少ない。

これは12年ほど前の話なので今の教育課程の状況は少し変わっているかもしれませんが、当時なるほどと思ったのを覚えています。

「何かをするときには問題発見能力があり、解決まで導けることが大事になるが、日本ではその教育を受けた博士号取得者が結果的に就職で不利になるため、進学しにくいという環境担ってしまっているのが良くない」というのが、先生方が感じている内容でした。

私は博士課程には進んでいないので本当にどの程度鍛えられるのかはわかりませんが、実際自分が経験した修士までの課程の中では「自分で問題を設定する」という状況は少なかったように思います。

自由研究では、本来的には自分で課題を設定する

先の話を考えると、自由研究では自分で課題を設定するので数少ない「問題発見能力」を問われる機会である気がします。

ですが、実際のところ「設定した課題から結論まで含め、他の人に遜色しない内容にしたい」と思うと、なかなか突飛な設定はしづらく、結局無難な課題設定をして、予めわかっている(ネットなどで手に入る、または予め知っている)プロセスをたどりながら証拠写真を撮って、並べる作業になりがちなのかな、なんて思います。

それを考えると、時間もあっていい機会を無難に過ごしていたんだな~、などと今になってもったいないことをした気分になっていたりします。

どうすれば課題設定を頑張ったんだろうかと考えてみる

当時はひたすら面倒に感じて無難にこなしたという要素が大きかったんですが、当時の自分にどういう条件があればやる気になったんだろう、などと考えてみました。

ざっくりこんなところでしょうか。

  • 「評価される/されない」の要素が明確である
  • 課題設定の面白さ自体が点数になる
  • 結果的に予想通りにならなくても、「わかったこと」や「残っている課題」が整理されていれば評価される

要素としては「課題設定」→「情報収集(現状/既存情報把握)」→「調査・実験等」→「結果まとめ」→「結論」あたりになるんでしょうか。

最初の課題設定で失敗すると、得られた結果が寂しいものになってしまうということがよくあると思います。

結果として得られた情報が数少なかったとしても、限られた情報をちゃんと整理していれば評価されるなど、挽回できる安心感があれば課題設定のところで冒険できるのかな、などと考えます。

自分は子供はおろか結婚もしていないけど、子供ができて自由研究に取り組むことになったとしたら、せっかくの機会に対してなんらかサポートできる親でありたいなと思いました。

無理やり結論にした感がかなりありますが(笑)、自由研究というお題で思うことを書いてみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。